ものづくりの心
ICTが発達した現在においても、わが国の産業の背骨はものづくりであることに変わりはありません。
その中心となる金属製品の製作において、『ものをくっつける』という溶接は最も重要なプロセスのひとつです。
その溶接を通じて日々ものづくりに励んでいる皆さんの努力が日本のそして世界の安全で安心できる暮らしの
礎となっています。
今後も協会活動を展開していきます。
協会案内
(協会事務局)
業務時間 |
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住所(送付先) および 連絡先 |
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振込先口座 |
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【書類送付や送金の注意】
評価試験受験やサーベイランス手続きで、現金のほかに資格の確認のため適格性証明書(免許証)を送付いただくことがあります。配達事故で大切な免許証をなくさないために、配達履歴が明らかにできる現金書留、簡易書留や宅配便(メール便は記録が残りません)を利用ください。
(アクセス)

会員と入会について
会員数 | 209社(名)令和元年度 | ||||||||||||||||||||
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入会案内 |
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協会史
昭和期の高度経済成長のころでも、県下には(社)日本溶接協会の溶接技能評価試験を実施する窓口がありませんでした。隣県の愛知県溶接協会(当時は日本溶接協会愛知県支部)経由で試験がおこなわれ、企業や溶接士にはたいへん不便でした。しかし昭和50年に三重大学工学部に溶接講座が開設され、53年には鋼構造工場の認定制度がスタートしたことから県内にも溶接技術の普及のために独自の団体を希望する声が高まりました。この声に応えて、三重県機械金属工業技術振興会で溶接団体の設立が決議されました。昭和55年2月に三重機械鐵工株式会社の佐藤鐡太郎氏を初代支部長として、私どもの前身:社団法人日本溶接協会三重県支部が設立されました。全国では46番目とおそくなりましたが、7年後には全国溶接技術競技大会を共催できるほどに活動を認められるようになりました。その後、津市内の日本鋼管津製作所(現;JFEエンジニアリング津製作所)から歴代の支部長(現:会長)をむかえ、活動を続けています。
この間、事務所は津駅近傍から津新町駅近傍、さらには津市南部の現在の地へと移りましたが、溶接士の資格証明取得のお手伝いをつづけながら地域の溶接技術の発展を目指しています。一方で支部と本部とされた日本溶接協会との関係見直しも進み、平成20年には各地で独自の協会組織の運営が始まりました。わたしたちも丁度設立30年目の節目にあたる平成21年4月に、一般社団法人三重県溶接協会(日本溶接協会指定機関)として新しくスタートを切りました。